何もルールのなかった0号機のパチスロですが、初めて「規定」というルールが作られ、1号機が登場しました。 その後、2号機で大きな変更はあったものの、3〜5号機まで世相に合わせたマイナーチェンジを繰り返していきます。 そして、3号機の裏モノ時代には、爆発的にパチスロ人口が増え(筆者がハマったのもここから)、大いに繁栄しました が、その時代の終焉も早く、一気に冬の時代を迎えてしまいます。 本章では、それぞれの規定の内容に簡単に触れながら、思い出と軽いトリビアを含めて語っていきます。 |
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【1】初めての日電協裏対策 〜1.5号機 | ||||
前章の最終項にて、パチスロの機能や動作にルールが決められて1号機が誕生するまでを書きましたが、当然のように最初はうまくいきません。 現在のように、時代が進んだマシンですら、物理的な欠陥やプログラムミス(バグ)による攻略が発覚することが あります。 それが、最初のマシンに無いわけがありません。 ノウハウがほとんど無い状態で作られた多くのマシンたちは、配列ミスなどにより、速攻で何らかの攻略ネタが発覚してしまいます。 何もなかった1号機は、山佐が手掛けた「パルサーXX」、「プラネット」くらいだったそうです。 それらは「対策機」を出し直すことで対応されましたが、その後、いわゆる「裏モノ」が蔓延し出し、ルールが有名無形なものになりつつありました。 そこで、日電協は1986年(昭和61年)の4月、その対策に乗り出します。 それは、「日電協が定めたROM実装を義務化し、さらに基板を封印する」というものでした。 この対応を施したものが「1.5号機」です。 こうした経緯で、1号機と1.5号機は、機種名は若干変化しているものの、たいていは1:1で対応しています。 そのスペックはほとんど変わりません。 初めて世に出た1.5号機は、1987年(昭和62年)3月、瑞穂製作所の「ファイアーバード7U」でした(あまり意味はありませんが)。 余談ですが、1.5号機の中で、なぜかパル工業の「ニューペガサス」のみ、4号機の後期になっても一部店舗で稼働していました。 差枚数による吸い込み方式なので、小役を取っても意味がなく、逆押しでわざと小役を取りこぼす打ち方がスタ ンダードでした。 |
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【2】初めての規定見直し 〜2号機 | ||||
4号機時代が長期間に渡って繁栄した最も大きな理由は、「1つのメーカーが何台でもマシンを作れた」からです。 3号機までは、1メーカーが作れるマシンの数が制限されており、1号機は基本的に「1メーカー1台のみ」でした。 そこで、各メーカーが1号機を出し終わったタイミングで規定が見直され、「2号機」仕様が発表されました。 以下が、2号機の主な規定内容です。 ・ボーナス抽選の完全確率化 ・クレジット機能、BETボタンの搭載 ・ウェイト機能の搭載(4.0秒) ・小役集中機能の認可 ・SINボーナス(集中)機能の認可 ・Aタイプ/Bタイプ/Cタイプの選択 内部仕様的な最も大きな変更は、「ボーナス抽選の完全確率化」です。 1号機にも、ボーナス抽選が完全確率のマシンはいくつかありましたが、ほとんどのマシンは「吸い込み方式」を採用していました。これは、「○○枚マシンが吸い込んだらボーナス」、という方式です。 つまり、1号機は合法的に激しいハマりと連チャンを演出できたわけですが、2号機ではそこに規制が入りました。 そして、その抽選方式は、5号機になった今でも脈々と受け継がれています。 ちなみに、この「完全確率」というなんとも微妙な言い回しの言葉、実はパチンコ・パチスロ用語です。 確率論では、公式としての「完全確率の定理」は存在しますが、その指す意味は全く異なり、それ以外に完全確率という言葉は出てきません。 「完全確率」という言葉に反応する人は、ほぼ間違いなくパチンカー・スロッターということになります(笑 次に、「クレジット機能とウェイト機能の搭載」があります。 「クレジット機能」とは、メダルを50枚まで貯留可能とする機能、「ウェイト機能」とは、ゲームスタートの間隔が4.0秒間以上空いていないと、次ゲームを開始しないようにする機能です。 ウェイト機能に関しては、単にゲームが開始されないだけだと操作性が悪いため、ウェイト中にレバーを叩いた場合、前ゲームのリール回転時から4.0秒後に自動的にリールが回転しだす機能が特許化されました。 この「クレジット機能」と「ウェイト機能」は密接に関係しています。 1号機は、1ゲームのたびにメダルを3枚投入する必要がありましたが、「クレジット機能」を搭載することによって、サクサクとプレイできてしまうことが問題になりました。 もともと、パチンコで「1分100発規定(1分間に400円まで)」の規定があるのですが、それを軽く超えてしまうため、パチンコと同じく「射幸心を煽らないように」という理由で、ウェイト機能も合わせて搭載されました。 ちなみに、当たり前のように使われるこの「射幸」という言葉、少なくとも筆者が持ってる国語辞典には存在していませんし、IME変換もできません。やはりパチンコ・パチスロ用語です。 これは、警察庁公認の「造語」ということになるんでしょうか(笑 次に、ゲーム性に大きくかかわる「小役集中とSINボーナス(集中)の認可」になります。 これは無粋なお上にしては、格別に粋な規定でした。 これにより、それまで単なる「ボーナスの引き合戦」オンリーのゲーム性を大きく広げることになりました。 「小役集中」とは、通常時に特種小役成立などを契機に突入するもので、一定期間、小役確率がアップし、コインをジワジワと増やすことができるボーナスゲームの一種です。 小役集中機は、高砂産業の「ウィンクルシリーズ」やオリンピアの「バニーガールシリーズ」が人気になりましたが、残念ながら3号機規定で禁止されてしまいました。 一方、「SINボーナス(SINGLE BONUS)」とは、JACゲームが1回のみ(通常15枚獲得)のボーナスゲームです。 単独で採用される機種もありましたが、「SINボーナス集中」と呼ばれるモードを持つマシンが多く、いったん集中に入るとパンクフラグを引くまでSINボーナスが揃いまくり、過激にコインを増加させることが可能でした。 3号機で禁止された小役集中と違い、こちらは4号機の比較的後期まで活躍し、ニイガタ電子の「アラジン」やメーシー販売の「コンチネンタルV」(3号機)など、様々な名機が輩出されることになりました。 なお、最後のSINボーナス採用機種は、平和の爆裂AT機、「アントニオ猪木自身がパチスロ機」(4号機)が該当します。 最後に、「Aタイプ/Bタイプ/Cタイプの選択」です。それぞれの意味と特徴は以下になります。 ・Aタイプ : BIGボーナスのJACゲームが3回 主に高確率のBIGと低確率のREGが存在。BIG主体のゲーム性で、かつ、BIGの獲得枚数が多いため メリハリのある波となる。パチスロの王道。 ・Bタイプ : BIGボーナスのJACゲームが2回以下(1回でも可) 主にBIGのみが存在。ボーナス確率を上げられるというメリットがあるが、その分、獲得枚数は少なめ。 比較的、穏やかな波になる。 ⇒ 参考記事 : 「Bタイプと追加ライン機のボーナス抽選確率が上げられる理由」 ・Cタイプ : BIGボーナス無し BIGが存在しないため、「REG」、「小役集中」、「SINボーナス集中」、4号機後期では「AT」などだけで コインを獲得する。一般に、非常に荒い波になる。 Aタイプは最初から採用されましたが、初のCタイプは2号機誕生から約半年遅れで登場(1988年8月、メーシー:トロピカーナA)し、初のBタイプに至っては4号機(1993年4月、メーシー:トロピカーナ)まで待つことになります。 そのかわり、BIGボーナスとSINボーナス集中が共存する「A-Cタイプ」というものが早くから現れ人気を博しました。初めて「A-Cタイプ」として登場したのは、1988年4月、バルテックの「ジャンプ」です。 それにしても、このA-Cの「C」の部分、かなり謎です。もともと「C」は「BIGが存在しない」という意味ですから。恐らく、Cタイプ→BIG無し→SIN集中しか無い→SIN集中、と勝手に「SIN集中」に転じてしまったんでしょう。 この名付け親は、業界人か雑誌編集者かわかりませんが、少なくとも、規定上には存在しない言葉です。 Bタイプ、Cタイプに関しては、初登場マシンの人気がいま一つだったこともあり、共に、その後のほとんどのパチスロはAタイプ又はA-Cタイプになりますが、4号機の中盤以降に蘇ることになります。 Bタイプは、もともと「出玉少な目だけどボーナス確率がいい」がウリでしたが、IGT Japanの「エルビス」にて、「Bタイプの大量獲得仕様」という逆転の発想が行われたことにより、Bタイプが見直されてきました。 特に、後述のストック機時代には、確率を上げられる利点を利用して、アリストクラートの「巨人の星」を始めとして、様々なBタイプが開発されるようになります。 Cタイプは、アークテクニコの2号機「クレイジーバブルス」を最後に全く出なくなり、4号機中期で約7年ぶりに高砂電器から「セブンスポットSS」が出たかと思えばまた6年近くの長い沈黙と、ほとんど見向きもされませんでした。(A/B/Cタイプ制定から約13年で、Cタイプはわずか5機種) しかし、後述の「爆裂AT時代」に突入し、BIGボーナスがおまけ扱いになったことで状況が一変。 ベルコが精力的にAT機能搭載のCタイプ機を着手しだし、やがて「スーパービンゴ」やミズホの「ミリオンゴッド」といった歴史に残るマシンも登場しました。 そして、ストック機時代にもREG連続放出仕様に最も適したタイプとして重宝され、最終的にサミーの「パチスロ北斗の拳」というモンスターマシンを生み出すことになりました。 (C)武論尊・原哲夫 「史上最大のヒットマシンがCタイプ」という事実は、パチスロを長くやっている人にとっては、非常に違和感があることでしょう。 規定内容の話が長くなりましたが、初めての2号機は、1988年(昭和62年)2月、高砂産業の「ウィンクル」でした。 このマシンで、新たに規定された「小役集中」と「SINボーナス」が早速搭載され、多くの人が、その豊かなゲーム性の虜になりました(SINボーナス集中は無し)。 そして、見たことの無い人には説明しにくいのですが、「目押しインジケータ」なるものも搭載されていました。ちょうど、ゴルフやボーリングのゲームなどで、打つ力を決定するアレと似ています。 横長の領域に、リール回転と同調してLEDの光りが横向きに流れていて、その光りの位置を目押しすることにより、小役やボーナスが揃えられる、という初心者救済機能でした。(筆者の初打ち機種はウィンクルだったのでお世話になりました) ただ、特に規定に違反していたわけではないのに、このマシンと兄弟機・ベンハー以降は禁止されてしまいました。 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「2号機リストと解説」 |
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【3】初めての爆裂・裏モノ狂乱時代 〜3号機 | ||||
1号機から2号機は、大幅な規定変更がなされ、その後も長くパチスロの基礎となりましたが、「3号機」は基本的には「射幸心の煽り抑制」を目的としてのマイナーチェンジでした。 以下が、3号機の主な規定内容です。 ・小役集中機能の禁止 ・SINボーナス集中機能のパンク確率引き上げ(1/300以上) ・ウェイト機能を4.0秒から4.1秒に変更 ウェイトに関しては、いろんな憶測がありましたが、単に「4.0秒でも少し吸い込みスピードが速すぎないか?」ということで、申し訳程度に長くしたのが真相のようです。 初めての機種は、1990年(平成2年)6月で、高砂電器の「ドリームセブン」になります。 高砂電器は、初めての1号機(ワンダーセブン 他)、初めての2号機(ウィンクル)を出しており、初めてのパチスロメーカーにふさわしい新号機参入の早さです。 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「3号機の全リストと解説」 ところが、警察の思惑とは異なり、3号機時代は裏モノ天国になります。 2号機にも、「リバティベルシリーズ」を始め、裏モノはあったことはありましたが、そのシェアは比較になりません。 例えば、今の時代、純Aタイプなのにヤケに連チャンする裏モノが存在したら、それだけで話題になるでしょう。 ところが、この時代は、ノーマルが存在することの方が話題になるくらい、裏モノが当たり前でした。 裏モノにならなかった機種は、筆者の記憶では「スーパープラネット」、「コンチネンタルV」くらいしか知りません。 (コンチVの方は、地域によってはBIG主体のかなり凶暴な裏モノがあったらしいです) おおまかに区分すると、 ・上乗せ方式(コンチネンタル、リノ、スペーススペクター、ドリームセブンJr.、グレートハンター、アラジンUなど) 通常時の小役をカットしたり、ボーナス確率を極端に低くすることにより、その分をボーナスの連チャンに上乗せ。 リノは、ボーナス後の5G以内に小役が揃ったら(目押しして揃えないとダメ)連チャンという特種仕様。 ・貯金方式(ワイルドキャッツ、セブンボンバー、アポロン、デートライン銀河など) 通常時に成立したボーナスを貯留し、放出抽選に当選したら全て放出。4号機のストック機仕様に類似。 アポロンは、5回1セットの定額貯金システム。 ・吸い込み方式(デートライン銀河(貯金共存)、ペガサス412など) 1号機仕様と同じく、あらかじめ決められた枚数を吸い込んだらボーナス放出。この方式の採用はごく僅か。 となります。 裏モノには攻略法は付きモノなのか、粗悪なプログラムの欠陥を突いたものや、開発者自身が仕込んだセット打法など、攻略ネタが百花繚乱でした。 ただし、当時の裏モノは、あくまでも「常識の範囲での逸脱」だったように思います。 一日中頑張れば、よほど不運でない限り、とりあえずはそれなりのバックはあったはずです。短時間で10万以上負けとか、万枚突破とかは、ほとんどありませんでした。 それを思うと、「アラジンA」や「ミリオンゴッド」などの爆裂AT機や、「吉宗」や「島娘-30」などの爆裂ST機の方が、よほど「常識から逸脱している」と感じます。 これらが合法マシンとしてしばらく野放しにされたというのは、当時の裏モノ摘発騒ぎを知っている人にとっては非常に違和感を感じることでしょう。 ところで、なぜ、山佐の「スーパープラネット」だけは裏モノにならなかったんでしょうか? ・大量リーチ目機種として人気があり裏にする必要がなかった ・山佐のプログラム解析ガードが固く、裏業者が手を出せなかった ・ボーナス後の小役集中機能による自然連チャンがあり、充分爆発力があった など、いろいろ説がありますが、本当のところはよくわかっていません。 リーチ目が多くてゲーム性が豊かでも、連チャンしたらそれはそれで面白いハズだと思いますが。 やっぱり、一般的に言われていた「山佐のガードが固い説」なんでしょうか? いずれにしても、上述の裏モノ摘発騒ぎを機に、このスーパープラネットは一人勝ちの状態になります。 そのせいか、「裏モノ摘発を警察に促進したのは山佐」、という噂もまことしやかに飛びかいました(笑 もう一つ、上述したように、スーパープラネットはボーナス後に小役確率が上がり、コインが明らかに増えます。 「あれ?小役集中は3号機で禁止になかったんじゃなかったっけ?」と思った人は多かったと思います。 これが、保通協の型式試験で適合した理由もよくわかっていません。 規定内容が曖昧で、「小役集中」と「小役の確率が若干アップする」は別扱いとされた、と考えられますが・・・ その後、現在に至るまで、4号機初期〜中期の小役カウンタの動作を除いて、小役の抽選確率が変動するマシンは存在していません。 |
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【4】初めてのパチスロ冬の時代 〜裏モノ一斉摘発 | ||||
裏モノ全盛時代は、プレイヤーにとっては非常に楽しい時代でしたが、警察は面白いハズがありません。 皆がやってるから、という理由での堂々とした違法行為。 そして、各地域における警察〜パチンコ店の癒着(献金問題)による、あからさまな見逃し。 ついに、警察庁が本格的に裏モノの摘発に乗り出します。 まずは、市場を賑わした名機、瑞穂の「コンチネンタル」、ニイガタ電子の「リノ」、アークテクニコの「ワイルドキャッツ」、 バルテックの「セブンボンバー」が、メーカーの裏モノ関与による検定取り消しとなり、姿を消していきます。 実際は、ほとんどのメーカーが裏モノに関与していましたが、見せしめとしてやり玉に上がったこれらのメーカーは日電協除名、及び3年間の検定申請禁止(実質、活動停止)という重い処分が下されました。 さらに、1992年(平成4年)の夏ごろ(あくまで筆者の記憶)から、他のマシンも一斉に摘発され、市場から裏モノが一掃されました。 ノーマルに戻ったマシンたちには、もはや何の魅力もありません。 おまけに、4号機規定は発表されているにもかかわらず、「3号機全機種の基板交換が完了するまで4号機認可を行わない」という命令が下されたことにより、新機種も全く登場しません。 かろうじて、元々ノーマルで稼働していたスーパープラネットに客が付く程度で、明らかに客の全体数は大幅に減少し、非常に寂しい時代でした。 筆者も、この時代は、パチスロから興味をなくしつつあった記憶があります。 ようやく、その年の暮れに初の4号機「チェリーバー」が登場し、その後もかなり遅れて各メーカーが4号機を登場させますが、爆裂に慣れ親しんだ客はその仕様に馴染めず、冬の時代はまだしばらく続きます。 ちょうど、4号機の爆裂時代が終焉して、5号機に向かう現在と状況が似ていると思われるかも知れませんが、この時は、「パチスロ」というジャンルが無くなるのではないかと思えるほど、比較にならない冷え込みでした。 ガイドやマガジンなどのパチスロ専門誌なども非常に苦しい時期で、アニマルかつみ氏が「発売日は毎月迫ってくるが書くことがもうない」というような感じで、当時を誌面で振り返っていました。 冬の時代が終焉し、本当にパチスロ人気が復活するのは、1993年(平成5年)夏〜秋にかけての「ニューパルサーの大ヒット」まで待つことになります。 というか、ニューパルサーが出なかったら、もしかしたら本当に「パチスロ」は終わっていたかも知れません。 |
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