TOP はじめて物語メニュー パチスロ年表 
 3章・大量リーチ目と正当攻略法 【4号機初期〜4号機中期】
 
 パチスロ冬の時代は、ニューパルサーの大ヒットによって、終焉を迎えます。

 そして、空前の大量リーチ目ブームが到来します。

 しばらくは、山佐の一人勝ち状態になりますが、業界の雄、ユニバーサルが逆襲に転じます。

 本章では、その辺りの流れを中心に、多少の思い出も交えて語っていきます。


 
 【1】初めての4号機 〜外資系企業の参入

 パチスロ冬の時代のさなか、1992年(平成4年)12月に、
「4号機」の第一弾が登場しました。

 それが、ELECTRO COIN JAPAN(現・エレコ)の
「チェリーバー」(A-Cタイプ)です。

 

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「チェリーバー」


 この会社は、前年の1991年に設立されたばかりの外資系企業で、ユニバーサル販売(現・アルゼ)の技術提供を受けて、日本のパチスロ界に参入してきました。

 パネルにイギリス国旗が表記されており、一目でイギリス系であることがわかります。
 当初は、表立ってユニバーサルの傘下、という感じではありませんでした。

 初めての4号機が新規参入メーカーによるもので、しかも初めての外資系パチスロメーカーということで、世間をあっと言わせました。

 ちょうど、初めての5号機が、フタを開けたらパロットだったときの感覚に似ています。

 このチェリーバーは、当然ながら初モノづくしです。


 順序が逆になりましたが、ここで、4号機の主な規定内容に触れておきます。

  ・1メーカーにおける発売機種数制限の撤廃
  ・リプレイ搭載の義務化
  ・ボーナスフラグ/小役フラグの告知許可
  ・JACゲームが最大6回から最大8回に変更
  ・SINボーナス集中のパンク確率のさらなる引き上げ(Aタイプ:1/150以上、Bタイプ:1/160以上)


 リプレイについては、3号機で「ウェイト4.0秒から4.1秒に変更」というものがありましたが、その流れで、基本的には、ゲーム性の向上というよりは、射幸性の抑制が目的です。

 あと、3号機まではBIG獲得枚数が固定される方式(現在の5号機に似ています)でしたが、4号機では、ほぼ全てのマシンが期待値方式(小役成立もJAC INも完全確率)を採用しています。

 これは、4号機になって許可されたわけではなく、単に2〜3号機ではどこも採用しなかっただけの話です。

 唯一、尚球社の
「ミラクル」が採用しましたが、これは小役ゲームの継続数を抽選する方式で、4号機の期待値方式とは少し違います。

 

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「ミラクル」


 さて、チェリーバーに話を戻しますが、さっそく、ボーナス告知機能を搭載しています。
 それは、「告知ランプ」搭載もそうですが、もう一つ、斬新な「リールフラッシュ」がここで登場します。

 近年の派手なリールフラッシュとは異なり、第3ボタン停止後、中段に小さな闇が走る感じの、下手したら気付かないくらいの非常につつましやかなものでした。

 ⇒ 参考動画 : チェリーバー(youtube) ※3ゲーム目にフラッシュ


 そして、当然、リプレイも搭載されています。
 しかし、これは前号機からのプレイヤーにとって、非常に不評でした。

 基本的に、毎ゲーム、コインを投入するスタイルになっていたので、リプレイでそのリズムを崩される、というのがその理由です。

 しかし、この「まったり感を出す」ことを目的に採用されたリプレイが、思わぬゲーム性を作り出します。
 それが、4号機全般に渡って活躍する正当攻略法、
「リプレイハズシ」

 言うまでもありませんが、BIG中の3回目のJAC IN(主にリプレイ)を目押しや変則打ちなどでわざとハズし、小役ゲームをできるだけ引き伸ばして、獲得枚数を増加させる攻略法です。

 3号機には存在しなかった、この一般的な技術介入要素が、4号機の隆盛に大きく関与することになります。


 リプレイハズシがこの世に誕生したのは、メーカーのチェリーバーショールーム内です。

 発見者は、パチスロ必勝ガイドのライター説、パチスロファンのライター「チャンピオン木崎氏」説(自称)、その他、さまざまな説があります。

 なお、チェリーバーには、小役ゲーム中に2枚掛けにするとJAC IN確率がアップする、という機能が存在しました。

 これは、初めての完全確率による期待値方式ということで、パンク救済を目的としていたのか、既にリプレイハズシの実践を想定してのサービス仕様なのか、今となってはわかりません。


 ちなみに、この「ELECTRO COIN JAPAN」、長すぎるため、攻略誌の記載やプレイヤーの間では「エレコ」と呼んでいましたが、2000年に本当に社名が「エレコ(ELECO)」に変更されました。

 
スポンサードリンク
 
   
   
 【2】初めての大ヒットパチスロ 〜大量リーチ目ブーム

 4号機の第2弾は、1993年(平成4年)2月、これまた新規参入の外資系企業、IGT JAPANの
「ベガスガール」です。

 IGTは、4号機パチスロ販売を目的に作られたエレコと違い、既にラスベガスなどで名を上げている世界で最も著名なアメリカのスロットマシンメーカーで、日本拠点を作ってパチスロ市場に参入してきました。

 しかし、パネルの見栄えはラスベガスっぽくてゴージャスでしたが、コインが詰まりまくる、アツい場面が存在しない、小役ゲームの音が無い、体感機攻略が容易など問題が非常に多く、非難の対象となってしまいます。

 パチスロ必勝ガイドのパチスロジャーナルでは、「日本独自の文化であるパチスロを勉強しなさい(アニマル勝美)」、「日本のパチスロをナメきっています(ハトポッポ小泉)」とまで書かれました。(その評判に奮起したのか、次作の「トリコロール96」は一転して名機の誉れ高いマシンになっています。)

  

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「ベガスガール」


 さて、時代は「のど元過ぎれば・・・」で、裏モノが一部でひそかに稼働を復活します。
 最初は、もの珍しさで4号機を打ってみる人が多かったんですが、人気は再び裏モノに向けられることになりました。

 そして、初4号機から遅れること約5ヶ月、ようやく、日本のメーカーから4号機から登場しだします。

  第3弾: 1993年04月 ニューパルサー 【山佐】、 トロピカーナ 【メーシー】
  第4弾: 1993年07月 ソレックス 【ユニバーサル】
  第5弾: 1993年10月 クラブトロピカーナ 【メーシー】、 ザンガス1 【大東音響】、 ロイヤルタカシーRT 【高砂電器】
                           :


 ここで、パチスロの歴史に燦然と輝く、
「ニューパルサー」が登場します。

  

 スーパープラネットの流れをくむ大量リーチ目マシンで、それまでにないキャッチーなボーナス絵柄「カエル」を採用し、重低音が響くFM音源によるBGM、さらにカエルが揃うと鳴き声がする、という徹底的なエンタメぶりです。

 極端に冷え込んでいたパチスロ界を復活させたのは、ニューパルサーのおかげ、と言っても過言ではありません。
 パチスロ史上、まさに
「救世主」と呼べるのは、このマシンだけだと思います。

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「ニューパルサー」


 とは言っても、発売当初はニューパルサーの話題は非常に乏しく、攻略誌でも、業界の雄であるユニバーサル系の「トロピカーナ」の方を大きく扱っていました。

 というのも、上記で挙げた4号機は、全て新機能「ボーナス告知」を採用していますが、ニューパルサーのみ採用していません。

 まだ、「大量リーチ目」というのは、一部マニアのみに喜ばれる仕様でしたので、台頭してくるには少々時間がかかります。

  

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「トロピカーナ」


 4号機は、初登場から1993年9月までの10ヶ月間でわずか5機種、しかも裏モノの話題もあまり扱えないので、各攻略誌がネタがなくて非常にツラかったのは、この辺りだと思われます。

 4号機終焉の現在を「冬の時代」と称する人もいますが、それなりに店への客入りがよく、しかも5号機の新機種がバンバン出る今とは状況が全く違います。


 1993年の夏頃からでしょうか、ニューパルサーが徐々に徐々に、ジワジワと増えていきます。

 「北斗の拳」の時のような一気増台ではありませんでしたが、気付けばニューパルサーが無い店はほとんどない、というくらい増殖します。

 その人気の秘密は、もちろん大量リーチ目というゲーム性が一般に受け入れられてきたのもありますが、それよりも
「ニューパル連」と呼ばれる不思議な連チャン性でした。

 とは言っても、それは当然、高設定だったら「100G以内の連チャン率50%」という、完全確率の理論値から来るものですが、初めて目にする4号機純Aタイプの高設定連チャン性が思わぬ人気になったのです。

 人気台にはオカルトが付きモノで、製造番号がXXXX番以内だと連チャンしやすいとか、赤パネルの方が連チャンしやすいとか、色んな噂が立ちました(実体は、ただ、日数経過と共に設定が落ちてきただけだと思われます)。

 「ユニバ(アルゼ)連」、「オリ(ンピア)連」、「ジャグ連」・・・、この後、人気のある純Aタイプには、必ず連チャン名称が付くことになります(笑


 最終的には、ニューパルサーは約23万台を売り上げます。
 これは、「北斗の拳」に抜かれるまで、約11年間、守られた最多販売記録です。

 「北斗は62万台だから、全然開きがあるじゃん」と、思われる方もいると思いますが、この時代はまだまだパチスロの設置台数は少なく、数千台で充分、2万台も売れれば大ヒットという時代です。

 ニューパルサーによるパチスロ人気向上により、パチスロ総数が激増しましたが、それでもニューパルが23万台に到達したときは、パチスロ総数は75万台です。

 筆者が計算したところによると、そのシェア率はニューパルサー、北斗の拳ともに、約31%でほぼ同じ数値になりました。つまり、北斗の全盛期が、ちょうとニューパルの全盛期と同じくらいと思ってもらえればいいと思います。

 ⇒ 参考記事 : 「こだわりスロ一覧・ヒット機種一覧」


 さて、ニューパルサーの大ヒットにより、それまでのボーナス完全告知系の機種が市場から消えていき、新機種の多くが「大量リーチ目」を搭載したものばかりとなります。

 そのリーチ目は「山佐型」と呼ばれるものがほとんどで、ボーナス絵柄の山型、谷型、L/逆L型や、チェリー付きのボーナス絵柄ハサミ目、ゲチェナ(下段チェリー付き7)などの主なリーチ目が多くのマシンにコピーされました。

 リール制御も、従来の主流である「コントロール方式」から、山佐、日活興業、興進産業くらいしか採用していなかった「テーブル方式」が主流になります。


  
・コントロール方式 : ストップボタンを押された場所にかかわらず、成立役をできるだけ引き込む、また成立して
             いない役を揃わないようにする方式。いわゆる「スベリ」が特徴になる。

  
・テーブル方式   : ボタンを押された場所に対応するスベリ数を、あらかじめ複数のパターンで設定しておき、
             それに従ってリールを停止する方式。いわゆる「大量リーチ目」が特徴になる。4号機中期
             以降のマシンは、ほぼ全てがテーブル方式と思って問題無し。


 各攻略誌の内容も、毎月、各機種のリーチ目を何十ページも延々と列記する記事が中心になっていきます。

 ただ、実際は、そんなのを全てマジマジと見るマニアはそうもいず、記事の価値は低いのですが、実質ネタがそれしかなかったとも言えます。


 そのさなか、北電子は、告知ランプが静かに「ペカッ」と光る
「クリエーター7」という完全後告知機を出しましたが、時代に合わず、ほとんどの店で告知ランプを切られてしまいます(今では考えられませんね)。

 時代というのは、大量リーチ目ブームというのもありますが、当時はモーニング営業(数台が、朝一の1ゲーム目で7が揃う)が常識であり、その仕込みが一発でバレる「告知ランプ」というものはジャマな存在でしかなかったのです。

 唯一の特徴を無くした北電子のマシンたちは、当然ながら人気が出るはずもなく、その多くは裏モノになってしまう、悲惨な末路でした。

  

 ⇒参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「クリエーター7」

 それでも頑なに路線を変えなかった北電子の姿勢は、後の「ジャグラー」の超ロングヒットにつながっていきます。


 
 【3】初めての実用型・設定判別法 〜パチスロ攻略マガジンの偉業

 4号機の初期から中期における期間では、ほとんどのマシンが小役カウンタを搭載していました。

 小役カウンタというのは、目押しが苦手な人の救済機能で、小役が揃い過ぎたら揃わなくなるように、また、あまり揃わなかったら揃いやすくなるようになる機能です。

 3号機以降の規定として小役の確率変動は一切禁止されていますが、当時の内規による特例として、小役カウンタによる確率変動だけは認められていました。

 そして、その動作の計算要素に減算値というものがあります。
 ここでは、詳細説明は割愛しますが、まぁ、コイン持ちの指数みたいなものです。
 
 当時のマシンは、高設定はコイン持ちをよくさせるために、設定5/6のみ、もしくは設定6のみ減算値が異なるものが多数を占めていました。

 ここに目をつけたのが、パチスロ攻略マガジン・・・ではなくて、
マガジンの読者でした(笑

 「小役払い出し状況を計測して、小役高確率/低確率のしきい値を把握することで、設定が判別できるのでは?」と思い付き、その理論をマガジンに投稿したのでした。


 マガジンは、その投稿理論を元に発展させて、「ラッキーチャンス」用の設定判別法を完成させます。

 当初は、小役総払い出し枚数とゲーム数が一致した判別ポイントの小役落ち結果を、あらかじめ用意したマークシート状の表に書き込んでいく、というもので、正直、実際のホールでは実践しにくい、実用性の低いものでした。


 その後、手順に改良を重ね、1995年中頃に、ついに最新機「ハットトリックA」で、画期的な
手入れ式の設定判別手順を完成させます。

 当初は、2枚コイン投入、1枚BET・・・というそのままの難解な手順でしたが、やがて「○枚手持ち」という固定的な、かつ簡単な方法を編み出し、わずかBIG1回で高設定か否かを判別できるものでした。

 この手順開発作業は、当時のマガジンの看板ライターであるアラプロ氏がメインとなっていました。

 これを受けて、「BIG後のクレジット清算禁止」の店が出てきたため、それに対応した「クレジットを落とさない手順」も、その後発表されます。


 その攻略法が、「ニューパルサー」、「ダイバーズXX」といった、市場で最も出回っている機種での手順が発表されると、多くの人がホールで実践を行うようになりました。

 攻略マガジンが最も充実し、上り詰めたのは、間違いなくこの時期です。

 当時のスロプロのほとんどは、この攻略法のお世話になっていると言っても過言ではありません。
 それは、現在の多くの白夜書房系ライターさんや旅人さんなど、本人は大きな声では言えませんが同じです(笑

 とは言っても、浸透するまでには若干の時間がかかりました。

 アラプロ氏は、発表後は、ほぼ全員が実践するだとうと思っていたのか、直後ではほとんど実践人がいないことを嘆き、翌月号で「こんなに素晴らしい攻略法なのに、なぜ誰もやらないんだ」と叫んでいました。


 この設定判別法が普及した背景には、当時の交換率が大きく作用しています。

 現在の等価交換主流の時代では、波の荒いストック機は別として、通常営業で純Aタイプに設定5、6が入ることはまれですが、当時は6〜8枚交換が主流でしたので、比較的、多くの台に設定5、6が入っていたことが、さらに実用度をアップさせることになりました。

 唯一の弱点は、「ユニバーサル系の多くの機種では設定6しか判別できない(他は設定5以上)」ということでした。

 それは思った以上に深刻な事態であり、その後のパチスロシーンが「クランキーコンドル」を始めとするユニバーサルの独壇場となる(設定6はほぼ使われない)につれて、急激に衰退していきます。


 そして、CT機から小役カウンタの搭載されない機種がメインとなり、現在では、ほとんど「ニューパルサー」くらいにしか使えないものになってしまいました。

 なお、小役カウンタ/減算値や設定判別の内容を詳しく知りたい方は、以下サイトをご参照下さい。

 ⇒ 参考サイト : やじけんのhomepage 「設定判別マスターへの道」


 余談ですが、マガジンが発表してから数ヵ月後に、パチスロ必勝ガイドが設定判別法をパクって、(マガジン内で)大騒ぎになります。

 その内容は、多少は遠慮したのか、「手入れ式」でなく、旧式で誰もやらない「ポイントゲーム式」でした。

 しかし、「すごい発見をした」、「でもなかなか理論と実践がうまく一致しない」、「苦労した末、やっと手順を完成」みたいな記事になっており、マガジンが怒るのも無理はありません。

 アラプロ氏は「攻略法に著作権は無いのか」と怒りをあらわにし、トップページで糾弾します。

 それ以降、ガイドでは、ほとんど設定判別攻略に触れられることはなくなりました。

 
スポンサードリンク
 
   
   
 【4】初めての技術介入マシン 〜ユニバーサルの逆襲

 世は大量リーチ目ブームでしたが、この状況をユニバーサル販売(現・アルゼ)が面白く感じるハズがありません。

 いつの時代でも、自社が「業界のリーダー」と自負していますから、4号機スタート時に押しまくった「ボーナスの完全告知」が敗れるのは、かなり屈辱的だったと思われます。

 そんなユニバーサルも、時代の流れには逆らえず、屈辱に耐えて大量リーチ目マシンを発売せざるを得なくなります。

 1994年4月、その第一弾となる、絵柄が女性トーンで統一された異色マシン
「イヴX」を発売、続いて7月に初めてのコミカル系マシン「フリッパー3」を発売しました。

 この2機種は、他メーカーが安易に追従していたテーブル方式を採用せず、「内部的な0枚役」という技術を発案して、コントロ−ル方式のまま大量リーチ目を実現したもので、ユニバーサルの意地をひしひしと感じます。

     

 筆者はどちらの機種も結構好きですが、各攻略誌からは「山佐のマネ」という扱いを受け、我慢の時が続きます。


 しかし、1995年9月、ユニバーサル初のテーブル方式採用マシン
「クランキーコンドル」で、ついにユニバーサルに陽が当たります。

 基本リーチ目は山佐型を踏襲していましたが、それに加えて、ユニバ伝統のボーナステンパイ型(上段青テン)や、特定小役並び型(リリス)なども取り入れた、ユニバーサル渾身の大量リーチ目マシンです。

 また、パネルや絵柄の「顔の良さ」も非常に良く、BGMもコミカル系で、この時代の不可欠要素だった「キャッチーさ」を充分に備えていました。

  

 しかし、発売当初は、それまでのユニバ系大量リーチ目マシンたちを凌ぐほどの酷評でした。

 とにかく、勝てないの声、声。
 まだ低価交換が主流で、オール設定6でも店の黒字になってしまう、との噂が流れます。

 筆者も新装時期に打ちましたが、配当表にBIG中の15枚役がいっぱい書いてあるけど、ちーっとも揃いません。
 初打ちで大負けして、しばらく見向きもしなかった記憶があります。


 ところが、発売から2〜3ヶ月後の既に冬を迎えた頃、そのマシンの持つ潜在能力が攻略誌などで明らかになると、状況は一変します。

 それは、言うまでもなく
「DDT打法/KKK打法(小役回収打法)」「リプレイハズシ」の絶大効果。

  
・DDT打法 : 殺虫剤「Dichloro Diphenyl Trichloroethane(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)」の略。
         「虫を根こそぎ殺す」ことを、「小役を根こそぎ取る」の意味に転化。パチスロ必勝ガイド用語。

  
・KKK打法 :「小役きっちりかっちり」の略。パチスロ攻略マガジン用語。


 特に、BIGボーナス中の小役成立時のリール制御には数多くのトラップが仕込まれており、リプレイハズシの完全な手順完成には半年以上を要する、という手の込んだ作りをしていました。

 もちろん、その技術介入は、両者ともそれまでに存在は知られていましたが、その効果は従来マシンと比較になりません。設定1の機械割は105%をオーバーし、7枚交換でも、終日粘れば平均2万円ほどの日当が見込めました。

 店側も、当初は「変則打ち禁止」や「BIG中の目押し禁止」などのルールを作って対応しましたが、ある時期からは、もはや「見せ台」としてクランキーコンドルを扱うようになり、むしろハズシを推奨するような雰囲気でした。

 これにより、当時の多くの若者達は働くことを放棄し、スロプロへの道を選択しました。

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「クランキーコンドル」


 最終的には、ニューパルサーには及びませんが、約12万台という大ヒットを記録しました。
 ここから、ユニバーサル(アルゼ)王国時代がしばらく続きます。

 技術介入を前面に押し出した「タコスロ」、「レッツ」、「クランキーコンテスト」等を矢継ぎ早にリリースし、特に若年層から不動の人気を得るようになります。(というか、それまでプレイヤーにあまり若者はいなくて、技術介入時代で急激に若年層が増えました)

 さらに、光と音の革命機「サンダーV」、大量獲得機「大花火」、CT機「アステカ」など、常にパチスロシーンの中心にはユニバーサルがいました。


 それに比べて、盛者必衰の理・・・、ニューパルサーでこの世の春を謳歌した山佐の凋落ぶりは目を覆うばかりでした。

 「ダイバーズXX」、「セブンリーグ」、「ピンクパンサー」くらいまでは勢いを保っていましたが、「ワイワイパルサー2」あたりから、完全にプレイヤーから飽きられる存在となります。

 しかし、山佐は自ら作り出した大量リーチ目と、「カエル」の呪縛からなかなか抜け出せません。

 「ニュービッグパルサー」、「ケロケロパルサー2」、「ワンパクパルサー」など、乱発したカエル台は必ず酷評を受けまくり、設置台数もあまり伸びません。

     

 実際には一定のシェアを保ってはいたのですが、あの「ニューパルサー」の山佐ということで、ニューパル超えを望む世間から、常に辛く語られてしまうのはやむを得なかったのかも知れません。

 ついには、頑なに守り続けた「万人に平等」を捨て「技術介入」へ、そして「大量リーチ目」を捨て「演出・告知系」へ移行するなど、しばらくユニバーサルが作った時代の波に飲まれる迷走時代を送ることになります。


 
 【5】初めての大革命マシン 〜サンダーVの衝撃

 個人的な話で申し訳ないですが、筆者の忘れられない新装は4回あります。

 1回目はメーシーの「コンチネンタルV」。

 店が「やっちゃった」みたいで、もう、全員がセブンラッシュに入っているという状態で、見たことのないお祭り的な光景でした。ラッシュのBGMが重複するとすごい迫力です。緊急で、2時間ほど営業時間が短縮されました(笑

 2回目は山佐の「ピンクパンサー」。

 これは、筺体の色です。辺り一面にピンクが広がる光景に、「パチスロも変わったなぁ」と思ったものです。
 初めてのタイアップ機ということでも、かなり注目したマシンでした。

 3回目は群を抜いてメーシーの
「サンダーV」 (1997年12月)。

  

 ただでさえクラブトロピカーナやソレックスなどのフラッシュ系が好きだったので、中段の地味なフラッシュが復活するだけで涙モノでしたが・・・想像を絶するフラッシュ群に圧倒されました。

 (4回目はミズホの「ミリオンゴッド」ですが、あまりにもヒドい結果で、思い出したくありません(笑 )


 ほとんどの人は、このサンダーVに衝撃を受けたのではないでしょうか?

 現在、登録済みのサンダーVの「業界初項目」を列記してみます。

  ・初リールフラッシュ演出(告知以外で使用)
  ・初バックライト消灯演出
  ・初予告音演出
  ・初3連絵柄/初3連同一BIG絵柄 (V-V-V)
  ・初透過絵柄 (赤7)
  ・初トリプルラインテンパイ
  ・初スペシャルテンパイ音
  ・初3連ボーナス絵柄停止の1リール確定目
  ・初演出無しでの特定小役出現で確定
  ・初リプレイハズシ成功で祝福演出


 どれもこれも、1つだけ取り込めば画期的なマシン、というものですが、サンダーは一気に全てを詰め込んでしまいました。

 特に、リールフラッシュ、バックライト消灯による演出は衝撃的で、従来の単なるリーチ目マシンとは明らかに一線を画しています。

 予告音発生時は、第一リールを止める前から緊張するという、新たな楽しみを生み出しました。(聞こえにくいとの指摘はあったが、毎ゲーム神経を集中させれば大丈夫) 

 また、絵柄も初めての3連絵柄を採用されていて、3連絵柄が停止した時のインパクトは絶大でした。
 BIG確定のスペシャルテンパイ音(コンチネンタルのファンファーレ)も斬新です。

 そして、リプレイハズシはほどよい難易度で、成功したらVフラッシュで祝福してくれます。
 高設定時の出玉も、文句はありません。

 唯一の不満点は、あまりにも人気がありすぎて、一介のサラリーマンには、導入後しばらく後ろで見るしかなかった、ということくらいでした(笑

 全てのパチスロの中でも1位、2位を争う革命マシンであることは間違いありません。

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「サンダーV」
 ⇒ 参考記事 : 「革命マシンランキング」


 ちょうど、他社がユニバーサルの作った技術介入ブームに乗って、技術介入マシンを発売しだした時期で、それを嘲笑うかのごとく登場したこの機種は、「演出・告知ブーム」という新しい波を生み出すことになります。

 この頃のユニバーサルの
先見性のある独自路線はとにかくすごいモノがありました。

 唯一、それにストップをかけられる実力のあった山佐は、その頃、「ターボ1000」、「でるでる小僧」、「チェリッシュ」など残念な機種が多く、その後も「ピカゴロウ」、「ビッグウェーブ」など、ユニバーサルが作った演出・告知ブームに乗っからざるを得ない状況になります。

 
 もう一つ、サンダーVの隠れた功績に「北電子の経営難救済」というのがあります。

 北電子は、大量リーチ目時代でも技術介入時代でもそれらの流れに乗らずに、リーチ目も技術介入もほとんどない完全後告知機を作り続けていました。が、当然ながら、全く話題になることはありません(ジャグラーを含め)。

 ところが、サンダーVのヒットにより「光り機能」がもてはやされるようになると、ここで北電子のマシンが「元祖モノ」という扱いを受け、既に過去の機種になっていた
「ジャグラー」が一躍注目されるようになります。

 それが攻略誌で大きく紹介されるきっかけになりますが、ここでガイドが「北電子独自の乱数生成方式による荒波マシン」という名コピーを勝手に作り上げたことでさらに話題が大きくなり、ジャグラーのロングヒットが始まりました。(北電子のインタビューで、「あのコピーを見たホールから注文が殺到し、経営が救われた」と述べています。)

 

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「ジャグラー」


 ユニバーサルは、サンダーVの爆発的な支持を受けて、その後も「バーサス」、「ハナビ」といった後継機を登場させ、いずれも好評を博します。(その過程で、ユニバーサルはアルゼに変わります)

 特に、サンダーVとハナビは、2006年6月のみなし機強制撤去日まで、各地で元気に稼働を続けました。

 ⇒ 参考記事 : 懐かしのぱちすろ名機列伝 「バーサス」「ハナビ」

 クランキーコンドルで築いたアルゼ王国の土壌は、このサンダーVで一気に広がりを見せました。


 
 
スポンサードリンク
 
 
← 第2章に戻る 第4章に進む →     はじめて物語メニュー パチスロ年表








アクセスランキング